韓国朝鮮と日本
簡単にまとめています
日本による収奪はあったのか
Categories: 日韓併合

併合時代、朝鮮の一人当りのコメの消費量が下がっている時期がある。
これを「日本に収奪されて飢えていた証拠」だとみなす人が多い。
しかし当時の朝鮮の、一人あたりの穀物の消費量は年間1.65~2.02石あった。
1石あれば、成人一人が1年に必要な穀物量は満たされるのだ。これで飢えていたと言えるだろうか?

以下解説。

この話題は、非常に長々と話して、当時の朝鮮の実態を見えにくくするのに使われやすい。
普通の人はこんなこと考えて生きていないから当然だ。

まず、日本のコメ消費量も、1965年度から一貫して下がっている。
だからといってこの間、日本が誰かに収奪されていたとはいえない。
単に、米以外のものも食べるようになっただけのことだ。

「でも当時の韓国には、お米以外には雑穀しかなかったんでしょ?」と思うかもしれない。
実際の所、彼らは「粟(アワ)ご飯」を食べていた(その他のおかずも食べているが)。
「アワを食べていたなんて可哀想」と思ってしまう人もいるかもしれないが、日本の昔の山村のように、コメが取れないからアワを食べていたのとは違う。

当時の朝鮮半島では、収穫した米の何割かを売って、現金収入にして、アワを買って食べていただけである。
そのほうがいっぱい食えるし、買い物もできるようになるのだから。

当時の朝鮮では米の生産量は増えていた。だから、売るのに回す米はあった。
正当な売買なのだから、収奪とは言えないだろう。

一人あたりの穀物の消費量は、最低の年でも1.65石あるのだから、深刻な飢餓状態にあったとは思えないが、「一人あたりの消費量は、あくまでも平均したものだ。たくさん食べている一握りの人が数字を引き上げているだけで、ほとんどの人は食べてなかったのだ。」
という言説もある。
しかし実際のところ、朝鮮の人口は日本統治時代に増えていた。
併合時の1910年には1300万人だったのが、1942年には2500万人を突破している。
平均身長も伸びていた。
これでも、多くの人が栄養不足であったといえるだろうか?

「待て、人口が増加したのだから、飢餓になって当然だろう。」という人もいる。
それに対しては、話を繰り返すことになるが、全穀物の一人あたり年間消費量は1.65~2.02石あったのだと言っておきたい。

ちなみに、1石は150kgである。現在の日本人が食べている穀物は、一人あたり年間160kgなので、1.06石である(パン・麺類含む。動物の飼料は除く)。
(厚生労働省「国民健康・栄養調査(平成20年)」)
もちろん、現代は穀物以外にも食べ物がたくさんあるのは確かだ。それに比べると、昔は日本も朝鮮も料理のバリエーションは乏しいかもしれない。
ただ少なくとも、木の皮を食べていただの、餓死者が続出しただのということでは無いはずだ。

ところで、アワご飯はそんなにマズいものなのだろうか?
現在ではアワのがコメより高いが、確かに日本人の場合、毎日食べると飽きるかもしれない。毎日パンでも飽きるのではないだろうか。
しかし、朝鮮ではもともとアワは主食。20世紀に入ってからは、米を多く食べるときもあれば、アワを多く食べるときもあった。売れる値段によって変えていただけのことである。

このテーマはいろいろと議論に取り上げられるようなので、興味のある人は深追いしてみても良いかもしれない。

参考文献
河合和男『朝鮮における産米増殖計画』
古田 博司 『東アジア「反日」トライアングル』
文春新書 『韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30 』
木村 幹 『朝鮮半島をどう見るか』
参考サイト
http://boutarou.blog103.fc2.com/?mode=m&no=86

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