よく現代の韓国人は、「植民地時代に、日本に言葉を奪われた」などといって怒る。
しかし、日本は朝鮮語を奪っていない。
実際は、朝鮮人たち自身が、朝鮮語を捨てようとしていたのだ。
それに対して、日本側は朝鮮語を守ったのだった。
以下解説:
朝鮮語全廃を訴えたのは、親日派の玄永燮(ヒョン・ヨンソプ)らだけでなく、日本からの独立を訴えた「3・1独立運動」の代表の一人である朴熙道(パク・ヒド)などの人物もいる。
玄永燮の朝鮮語廃止の願いに対して、当時の日本側の南次郎総督は「それは出来ない相談」として断っている。
ちなみに、南次郎総督の時代は、朝鮮人の反発も少なくなっていた。
「3・1独立運動」のあったパコダ公園も、日本人が普通に出入りできるようになっていた。
南総督は、チョゴリを着て、通訳兼護衛を一人だけ連れ、パコダ公園(現タプコル公園)にたむろする朝鮮の老人たちとよく談笑していたという。
(参考文献:「中国・韓国の歴史歪曲」~なぜ、日本人は沈黙するのか~ 黄 文雄 著)
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