韓国朝鮮と日本
簡単にまとめています
総督府は朝鮮の人々の陳情を真摯に受けていた
Categories: 日韓併合

minamitouchi

記事の内容

胸襟開く南統治
虚心坦懐民の声を聴く用意あり
安んじて文書で言いたい事言え
”下意上達のコツ”を通牒
朝日新聞 南鮮版 1937年3月23日

南総督(みなみそうとく)は朝鮮統治に関する陳情運動の是正に関してかねてより考慮をめぐらしてゐたが、22日各官庁に左の如く通牒を発した
陳情はこれを適切に処理して民意の暢達(のびのびしていること)に資すること
▲陳情は文書によるも面会を求めて陳情するもその効果に変りないから官民お互ひに時間と費用を節約する主旨で原則として文書によらしむること
▲総督府に対する陳情は地方庁を経由すること、地方庁においては問題の真相を究め意見を副申すること
▲官公署職員の陳情員代表は避けること
▲中央政府への陳情は現在の制度上実益なきもの多し、ゆゑにこの間の事理を説示し善導すること

右について総督府では鈴川文書課長談の形式をもって右の主旨をつぎの如く発表した
陳情は民意の発露であるから為政者は好意親切をもってこれを遇し、地方の民意を聴かねばならぬ、特に朝鮮ではまだ訴願の範囲も狭く、行政裁判の制度もないから適切なる陳情は十分耳を貸さねばならぬ、しかし実現性なきもの或ひはその官庁事務の範囲に属せぬ事項につき徒らに陳情をなすもの多く、または多人数官庁に出頭して面会を求むるなどのことは官民相互に時間と費用を空費し実益なく、むしろ弊害の方が多いので、今回陳情の是正、処遇善導を行ふことにしたのである

以上、記事画像の文字起こし。
以下解説:
上の記事を読むと、総督府は朝鮮民衆の陳情にかなり耳を傾ける態度であったことがわかる。
また、書類を使わず、大勢で押しかけて陳情するというのが当時の朝鮮人のやり方であったこともわかる。
当時はまだ文字が書けない人も多かったのかもしれないが、戦後、日本各地の役所に在日朝鮮人が押しかけた事件にも通ずるようにも感じられる。
いずれにしても、当時の総督府の役人たちの苦労が伺え知れる内容ではないだろうか。また、戦後考えられているような、当時の日本に対する悪いイメージを覆すものだと思う。
当時の新聞をすべて「御用新聞」と切り捨てるのは簡単だが、三・一独立運動後、朝鮮総督府への批判が高まり、こうした民衆への配慮の通達があったことは事実だ。
もともと南総督は人情家であり、よく朝鮮服を着ていたという証言も多いほどの、かなりの親朝鮮的人物であったことも一因かもしれない。
日本式の名前に創氏することを許可したのも南総督であるという。
当時の警務局は日本式の名前を設定することに反対していたし、法務局でも既存の日本の苗字をつけることには反対していたという。
朝鮮に居住していた一般の日本人たちも、朝鮮人が日本式に創氏改名できてしまうことに反対していたという。
それを押し切ってまで、日本式に創氏できるように”許可”したのは、南総督の朝鮮人への配慮ではなかっただろうか。
とかく否定的に捉えられがちな「内鮮一体」の意味も今一度考えなおす必要がありそうだ。

関連:朝鮮語を守ったのは誰か

(参考文献および出典:水間政憲著『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』)

 

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